緊縛という非効率さに宿る

緊縛をはじめて、もう6年。

いまでも先生から学ぶことは多く、「まだまだだな」と思いながら、新しい縛りを試し、技術を磨く日々です。

 

正直に言えば、緊縛は習得も運用も手間がかかります。

麻縄を使って相手を“正しく”“安全に”拘束しようとすれば、時間も経験も要る。一方で、拘束は他の方法でもできます。「手を上げたまま止まってね」と言えば、それだけで動きは制限されるし、市販の手枷や拘束具なら説明書どおりに装着すればすぐ固定できる。

 

だからこそ思うのです。

数ある拘束の中で麻縄を使う“緊縛”は、いちばん面倒で、いちばん効率が悪い。――それでも人を惹きつけるのは、その“面倒くささ”の中にしかない魅力があるから。

 

“始まりの手前”がくれる高鳴り

 

束ねられた縄の重み、ほのかに漂う麻の匂い、擦れる音や肌をなぞる手触り。

「これからこの縄で縛られるんだ」という予感が、五感をじわじわ刺激していきます。

ワンタッチで固定する道具では味わえない“始まりの手前”の余白。

心拍が高まり、呼吸が整い、身体と気持ちがゆっくり同じ方向を向いていく時間です。

 

縄は“道具”であり、“身体の一部”

 

指先を通る麻の繊維は、微細な圧や揺れで合図を送ります。

圧を少し強めれば、抱きしめられたような心地よい苦しみに。緩めれば、隣に寄り添ってくれているような安心感に。
縄と身体の間で繰り返される小さな変化は、二人だけに通じる会話であり、ゆっくりと進むコミュニケーションです。

 

「わかってもらえた」が形になる 

 

その日の体調や気分、距離感や好み。

緊縛はそれらを“圧の強弱・距離の近さ・リズムの緩急”に置き換えていきます。

「今日は苦しさを味わいたい」

「もっと近くに感じたい」

――そんな気持ちを縄に託して返す。欲求も不安も、期待も戸惑いも、すべて縄の上で受け止められて“実感”になる瞬間があります。これは他の拘束では得がたい体験です。

 

非効率の積み重ねが、記憶になる

 

縛るのも、解くのも、手間。手入れも必要。

それでも、その非効率のひとつひとつが“共同作業の記憶”を育てます。

「ここに圧をかけると呼吸が荒くなるね」

「この角度だと新しい表情が見れるね」

そんな小さな発見が、次に会うときの“続き”になる。速さではなく、深さで届く拘束。――それが私にとっての緊縛の魅力です。

 

面倒で、効率が悪い。だからこそ、心が置き去りにならない。

もし少しでも“その深さ”を覗いてみたくなったら、あなたのペースで。呼吸を合わせるところから、ゆっくり始めてみましょう。