「結局、虹だよね」

僕の会話には飛躍と省略が多すぎることがややある。

その為に、思いをそのままの形で相手に上手に伝えることが難しかったり、

訂正や修正を加えるうちに面倒臭くなって最終的にどうでもいいやって投げ出すことがある。

 

タイムラインで見つけた画像のお話を見て、分かるなあと思って。

もし同じような人がいたら、ここにも君の同類がいるよ、と。

何の安心にもならないですが、ともかく一人じゃないことを伝えたい。

 

この前は何のお話をしていたか忘れたけど、

たぶん多様性というキーワードの周辺をなぞるような会話をしていたと思う。

多様性という言葉を最近はやたらに耳にするようになった。

多様性の対義語は画一性とかその辺だと思う。

多様性を声高に主張する人は、どこか画一的に見えてしまう。

多様性を求めるのであれば、画一性ももちろん受容されるべきだ。

画一的で全体主義的な思想も受け入れられてこそ、多様な社会と言える。

画一性や全体主義的なものを排除するのであれば、多様性を叫ぶ風潮こそが画一的で全体主義的だ。

それは多様性とはいえないのではないだろうか。

 

寛容もそれに少し近い。

僕は寛容な人間だと自分で思うけれど、寛容と言う思想は危険である。

なぜなら、寛容は、破壊の思想についても寛容であるからだ。

すなわち寛容な国家というものがもしあるとするならば、その国家は滅亡してしまう。

 

結局すべてはバランス感覚だったりグラデーションの問題なのだ。

グラデーションと言えば、虹だ。

「結局、虹だよね」

↑ここだけ口にしてしまうので何も伝わらないことがある。

 

同じご経験をお持ちの方、僕とならしっかり会話できますのでお気軽にご連絡ください✍️