悪口と陰口の哲学

今まで褒められたような人生は歩んでいない哉太ですが、唯一褒めるとするなら

 

 

「人の悪口を言った事がない」

 

 

ところでしょうか。

 

「言わない」というより「言いたくない」

 

悪口を聞かされている周りの人は気分が良くないですし、何より自分が話している悪口を1番聞いているのは自分です。

 

それってセルフイメージ的にも良くないんじゃないかなって思います。

 

悪口を沢山話している自分を想像しましたが、そんな自分は好きになれません。

 

 

悪口が発生する主な原因として

 

「理解不足」

 

があります。 

 

例えば、職場の人に挨拶して無視された場合、悪口のひとつやふたつ言いたくなる事でしょう。でもここで、

 

「昨日、恋人に振られたショックで挨拶どころじゃなかったのかな」

 

「自分の声が小さくて聞こえなかったのかな」

 

と想像すると、負の感情も収まるのではないでしょうか。

 

それが事実だろうと事実じゃなかろうと、一旦想像する事が大切だと思います。

 

それでも負の感情が収まらない場合は、そっとその人と距離を置けばいいのです。

 

 

 

とはいえ、悪口にも人によって色んな定義があります。

 

僕の中では

 

・相手や組織の成長、発展になる自分よがり  

 ではないもの

・議論などで用いられる反対、否定意見

・相手が聞いても笑える、いわば毒舌のよう

 なもの

(言う人の技術やお互いの信頼関係が大切。

 哉太はここをミスってしまう事も少々)

 

これらは悪口には入れてません。

 

 

 

言葉は時に凶器にもなりえます。

本人が聞いてなくても、見ていなくても巡り巡って自分に返ってきます。

 

でもその反面、人を楽しませたり、喜ばせたり、幸せにする力も持っています。

 

僕自身まだまだ未熟なところもありますが、素敵な言葉を使っていきたいです。