芥川龍之介『蜜柑』

蜜柑のあらすじ?

『退屈な人生を送り、疲労と倦怠を感じている主人公の私は、汽車が発車するのを待っていました。

そんなとき、発車寸前になって田舎娘が汽車に飛び込んできました。

私は、娘の醜い姿に嫌悪感を覚えます。その後、私は驚くべき光景を目にします。

窓から半分体を出した娘が、風呂敷の中の蜜柑を5~6個見送りに来た男の子に向かって投げたのです。

純粋な兄弟愛を目の当たりにした私は、先ほどまでのいらだちや憂鬱な気持ちを僅かな間忘れ、ほがらかな気持ちになりました。』

 

灰色で無彩色の物語の中、

突然「心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑」が登場することで、物語は一気に色鮮やかな印象に変わります?

 

田舎の娘さんは、奉公(他人の家の主人に雇われて、その家事・家業に従事すること)に向かうらしいと書かれています。

 

新しい旅立ちですが、娘さんは発射寸前に汽車に跳び乗ってきているので、ほんとうは行きたくないらしいのです。

 

それでも、お見送りに来た兄弟の労をねぎらい、蜜柑を窓から投げる光景に主人公は感動しました。

 

蜜柑を読むと、中学生のとき、同じシニアチーム出身の先輩を甲子園に応援に行った日を思い出します。

 

試合は劣勢からの大逆転勝利でした?

 

辛いことがあって、もうダメだ、と思った時、そういう気分に引きずられてしまいます。これから先も辛い日々が待ってると思い込んでしまいます。

 

芥川龍之介の蜜柑を読むと、人生何があるか分からない、という当たり前のことを僕は再認識させられます?

 

生きてるんだから、辛いに決まってます。

どこまで行っても能力と容姿の選別を受けるので、社会が与えてくれる狭い隙間に当てはめられるように、辛いダイエットをしたりする人もいます。

 

ボーイズラブとは、男装した女性のことで、選別から免れるために女性性を抹殺して主体を確立しようとした、という評論もあるくらいです?(あくまでも30年前の昔の評論なので今の現実とは乖離している可能性があります)

 

物語の最後にもあるように、主人公は感動したものの、僅かな間だけしか憂鬱から離れることは出来ませんでした。

でも、人生にはこういう感動的な瞬間がちらほらあって、だから少しだけ希望を持って生きられるんだ、と何となく思いました?

 

ユーザーさんのひとりひとりが、蜜柑のような女風生活が送られたら素敵だなあと思って投稿しました?