【供養】風の歌を聴け

YouTubeで書評しようとしてたのですが……

ここに供養させていただきます。

 

 

日本で最も有名な作家と言えば村上春樹さんではないでしょうか。

 

近年では唯一ノーベル文学賞候補となっている日本人作家であり、英国ブックメーカーサイトでは毎年必ず有力候補に挙げられるほど世界的にも知名度が高い作家です。

ノーベル賞の発表される秋頃には毎年ニュースで取り上げられるため、老若男女問わず広く知られています。

 

当時29歳の村上春樹さんは、ヤクルト対広島カープの1回裏、ヤクルトのヒルトンという外国人選手がツーベースヒットを放つのを観戦していました。その快音を聞いた瞬間、「『そうだ、小説を書いてみよう』と思い立った」のだとエッセイ集『走ることについて語るときに僕の語ること』に記しています。

村上春樹さんは、ジャズ喫茶を経営する傍ら処女作「風の歌を聴け」を書き上げ、「群像」に応募しました。

この風の歌を聴けという作品で、見事「第22回群像新人文学賞」を受賞し、小説家デビューを果たしました。

「風の詩を聴け」は、アメリカ文学に強い影響を受けた、都会生活を克明に描く表現が高く評価され、大きな注目を集めました。

 

・あらすじ

 

29歳の「僕」が8年前の夏の経験を、文章に書き起こすところから物語が始まります。

「僕」「友人の鼠」「小指のない女」の3人を軸に、過ぎていく夏が淡々と展開されていきます。ストーリーには大きな起伏はありませんが、音楽を聴いたりお酒を飲んだりしながら、僕と鼠の会話や独白で物語が進んでいきます。

 

 

①言いたい事が言えない人

 

すべてのものに対して主人公は距離を置きます。

チャップリンの名言で「人生は近くで見れば悲劇だが遠くで見れば喜劇だ」という名言がありますが、村上春樹さんの小説は愛しい人の自殺や過去のトラウマなど重いモチーフを扱っているにもかかわらず、どこか清潔感や清涼感があるのは、この文体の距離感も一役買ってるのではと思います。

 

村上春樹さんの著作に『若い読者のための短編小説案内』という本があってその中にこんな図が出てきます。

 

僕らの人間的存在は簡単に説明すると図(1)のようになると思うのです。自己(セルフ)は外界と自我(エゴ)に挟み込まれて、その両方からの力を等圧的に受けている。それが等圧であることによって、僕らはある意味では正気を保っている。しかしそれは決して心地よい状態ではない。なにしろ僕らは弁当箱の中の、サンドイッチの中身みたいにぎゅっと押しつぶさた格好で生きているわけですから。(中略)作家が小説を書こうとするとき、僕らはこの構図をどのように小説的に解決していくか、相対化していくかという決定を多かれ少なかれ迫られるわけです。

 

村上春樹さんの場合どうなっているかと言うと、このようになっています。


「僕」は都市のなかで不満を持たずすべてをそのままに受け入れるといった姿勢を取っており、内部からのエゴの力は語られていない。「僕」の内部からの突き上げを技巧的にゼロ化しようとしているのです。つまり自分のエゴの力を見せないようにして外界に対して戦意のないことを示しています。そしてそのかわり外界から何も要求させないというようなスタイルをとり、セルフの平静を装っています。

 

村上春樹の主人公は嬉しいとか楽しいとか、辛いとか苦しいとか、心理描写をほとんど口にしません。

周りとの衝突を避けるために、まるで自分の意思が無いかのように振舞うことで何とか生き抜いています。

僕も一時期というか今もそうなんですが、あえて流されるように振る舞うことで厄介事を回避することがあります。なので、読んでいて主人公の僕にすごく共感しました。

何か諍いが起こりそうな時、あえて自分の意思を隠すことで衝突を避けることはほとんどの人が経験したことがあると思います。だからこそ、村上春樹さんの作品は多くの方の心に訴えかけるんだと思います。

 

②軽いものと重いもの

初期の村上春樹作品では重いものに軽いものをぶつけると言った表現が多く見られます。

僕はすべてのものに対して一定の距離を保っているので、重いものを語る際、ほかの事柄を語るのと同じ距離感で語るために、なるべく軽く語る必要があると感じました。

 

そのことが一番分かりやすく現れたのは、彼がつき合っていたガールフレンドが首吊り自殺をした過去を振り返る場面です。このことが語られるのは物語の 半ばで、何気なく挿入され、しかも彼女は「仏文科の女の子」「3番目に寝た子」と個性が剥ぎ取られた形で提示され、名前すら語られません。さらに、彼女との関係は詳しく書かれることはなく、「当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回の セックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる。」と、数値という「ものさし」で計られることになります。そして、6922本目の煙草を 吸っているときに彼女の死を知らされたと述べられます。

 

そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた。

 

ガールフレンドの死という重くて意味のあるものに対して煙草という軽いもの、6922本目という意味を持たない数字をぶつける手法は、初期の村上春樹さんの作品にはよく見られました。

 

③夏を感じさせる日本文学が読みたい人

僕は若い頃は、古本屋で本を購入していて、この本も漏れなく古本屋で買ったのですが、古本だから既に本のページが日焼けしていて、そういう肌触りとか視覚情報が夏を感じる一因になっていたとは思うのですが、それを抜きにしてもこの小説の夏感はすごいです。

夏を感じる小説と言えば、僕だったらカミュの『異邦人』やサガンの『悲しみよこんにちは』が出てくるんですが、どれも海外文学で、日本文学の中でそういった海外文学と同じように夏を感じさせる小説が、この村上春樹さんの『風の歌を聴け』なんです。

ほんとうに日差しの強さだったり夏の風に吹かれる感覚だったりを、小説を読みながら感じられました。

またこの小説には、ストーリーの大きな起伏というのはないのですが、そういうなにか起こりそうな予感はあるのに何も起こらない、のもどこか夏っぽい。

実は表面的には大きな起伏はないものの、水面下では大きな出来事が起こっていて、それが登場人物たちの内面に大きな影響を与えています。

村上春樹さんの小説は難解なパズルのような作品が多いので、謎解きが好きな人にとっては非常におすすめです。

 

いかがでしたか。

他にも村上龍さんのコインロッカーベイビーズなどを紹介したかったのですが、村上龍さんについては逆に知りすぎていて著作権にものすごい引っかかるので諦めたのですが、何かしらで挑戦したいと思います。