元々は、終戦後の日本にあった冷戦構造化の軍事・経済の分業体制といった固有の歴史的前提から誕生したテレビ番組のジャンルである(男性優位の世の中だった当時の世相を反映したもの)。地上波における放送基準は1958年に制定され、しばらくラジオとテレビの2本立ての期間が続いていたが、1970年に一本化されて「日本民間放送連盟 放送基準」となった。1969年には現在のBPO(放送倫理・番組向上機構)の前身である「放送番組向上委員会」が設置され[1]、その当時から性を扱う娯楽番組への風当たりは強かった。
1950年代後半、テレビの普及を受けて「低俗番組」批判が起こり、それとともに放送制度の見直し論が広がった[2]。
1960年代初頭に放送されたフジテレビの『ピンクムードショウ』では毎回、ヌードダンサーが出演していたが乳房露出が多かったため、「低俗」・「卑猥だ」といった批判が殺到し、4回目の放送からはヌードは自粛された例がある(後に番組も終了)[3]。他にも日本テレビの『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』がゴールデンタイムにお色気要素を持ちこんだことで視聴者からの苦情が相次ぎ、学校などでは生徒が教師から番組を観ないよう注意を受けることもあり、番組は1年間で打ち切られている[4]。
また、お笑い番組『8時だョ!全員集合』は、日本PTA全国協議会が「低俗テレビ番組を野放しにできない」として放送中止をTBSと番組スポンサーに求めてチャンネルの切り替え運動や商品の不買運動までちらつかせ、加藤茶の「ちょっとだけよ〜。あんたも好きねぇ〜」がストリップを連想させるギャグとして槍玉に挙げられた[5]。この頃は1964年東京オリンピックや日本万国博覧会を追い風にカラーテレビの普及に拍車がかかった時期だったこともあり、低俗番組の批判が高まっていた。
僕が学生時代のエロい時には夜美女という番組に夢中になっていました。
現在ではケンコバのバコバコTVが唯一現存するエロい地上波らしいです